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遊泉寺銅山跡/2
 
遊泉寺銅山跡/1
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広場から先、遊歩道は林道から登山道になります。
広場にバイクを置いて、歩いて山道を登り始めます。
 

遊歩道はかなりの急勾配で階段になっている場所もあり、しかも草だらけ。
雨の中、ヤブ漕ぎで濡れた靴で、こんな道を進むのは滅入ります。
草や泥でツルツル滑って、何度も転びそうになります。
 
看板が見えてきたので、ヤッター!やっと遺構だ〜!と近づいたら、ただの「休憩所」という看板でした…。
「これより上り急勾配、頑張りましょう!」という看板の先には、まだまだ上り坂が続いています…。

やっと登りつめました。
登りつめた場所に、レンガの基礎が残っていました。
精錬所から出るノロ(不純物)を引き上げた機械の据え付け台「巻き揚げ装置跡」だそうです。
 

広場から苦労して登ってきても、遺構はこれしかありませんでした。
駐車場の看板によると、他にもレンガの基礎(たぶんこの巻揚の相方)があるようでしたが、それは見つからずじまい。
 
遊歩道はこの先、展望台へと至り、別ルート経由で駐車場に戻る行程になっているようです。
私は、来た道をそのまま戻ります。
登りであれだけ滑る道なので、下りはもっと歩きにくいです。
道が乾いていればもう少しマシな道程だったろうに。

 

広場まで下り、バイクで遊歩道を戻り、遊歩道入り口の駐車場に戻ってきました。
ここには、この銅山の発展の功績者である竹内氏の石像と、銅山の由来が刻まれた記念碑が建っていました。
竹内氏は明治時代、藩の財源であったこの銅山を民営化し発展させ、付属の鉄工所を立ち上げ、機械工業に力を入れていきました。
それが、今のコマツと、工業都市・小松市の基礎となったそうです。

 

当時の竪坑の写真と、当時の鉱山町の様子。
発電所や軽便も備えた最先端の鉱山だったそうです。
当時はこの場所に5000人が暮らし、病院・学校・郵便局や商店も揃った大きな鉱山町だったようです。
 
<終わり>
 
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所在地 石川県小松市


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