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九州歴史探訪ツーリング3日目/3
 
九州歴史探訪ツーリング3日目/2
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■原爆落下中心地
原爆落下中心地公園の中心には、一本の慰霊碑が立っています。
慰霊碑の前でちょうど式典が行われていたので、遠くから見ただけです。
 

慰霊碑の近くには、被爆した浦上天主堂浦の遺壁や石像が移築保存されています。

公園の片隅に立つ、傷ついた子供を抱く女性の大きな像。
母親なのか、マリア様なのか。
この像を見て、祈念像からずっとこらえていた涙が噴き出ました。
この街は、歴史が辛すぎる。
耐えられない。
■長崎原爆資料館
8時半の開館まで中心地公園で待って、隣接する原爆資料館に入場します。
入場料は100円。
 

原爆が投下された、11時2分で止まったままの時計と、熱線でひしゃげた給水塔の鉄骨。
 
鉄が柔らかくなるほどの熱線だよ?
影が焼きつくほどの熱線だよ?
建物が吹っ飛ぶほどの爆風だよ?
ヤケドやガラス片のケガで苦しみ、さらに放射能の後遺症に苦しみ、
その苦しみが、二代、三代先まで遺伝するんだよ?
こんな地獄が、現在でも進行中なんだよ?
こんな爆弾が、未だ隣国にゴロゴロあるんだよ?
原爆は、過去の惨事なんかじゃない、現在でも脅威だ。
とても無関心でなどいられるか!

 

もう涙スイッチが入ってしまったので、場内を見学中、ずっと涙が止まりませんでした。
でも、泣く事は恥ずかしいとは思いません。
このような歴史を目の当たりにして、涼しい顔をしていられる人のほうが、狂ってる。
 
一通り原爆遺産を見学をしましたが、心のモヤモヤが納まりません。
どうしてこんな目に合わなければならなかったのか。
日本軍も、戦時中にアジアに酷い事をしてきた。
特攻やバンザイ玉砕など、日本は狂気に侵されていた。
アメリカの、「原爆投下により、戦争が早く終結した」という主張も頷ける。
原爆が投下されず、戦争が長引いたら、日本には別の形の悲劇があっただろう。
でも…なぜこんな酷い目に合わなければならなかったのか。
 
誰が悪いとか、誰に責任があるとか、どうすれば良かったのか、これからどうしたらいいのか、
正しい答えなんて誰にも出せない、こういう重い問題をつきつけられると、
答えの出ないもどかしさに気が沈むので、重いテーマを考えるのは本当は嫌いです。
でも、もっと嫌なのは、その問題を避け、考えることから逃げ、無関心を装うことです。
 
色々な資料を見て、正直すごく憂鬱で嫌な気持ちになりましたが、
目を逸らさずに見て良かったと思います。
 
九州歴史探訪ツーリング3日目/4へ続く


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